【続】あすか修繕堂(修理会社)と私の出会い

【続】あすか修繕堂と私 ネットショップ

この記事はおっさん」のプライベートな話part2です。

興味のある方はお読みください。

続きもんです。前回の記事【あすか修繕堂(修理会社)と私の出会い】を読んでいない方は先に読んで頂ければと思います。

メール、問い合わせ、コメント、電話などで10名ほどの方が続編を希望しておられたので書くことにしました。

おっさんの拙い話に意外にも多くの方に読んで頂いたことに驚きです!
ありがとうございます。

 

今回は・・・『あすか修繕堂』と言う修理会社で働くことが決まったところ~現在までのお話(働いていた頃の話が中心)です。

 

この記事を読むと

・ 一人のおっさんのしょうもない人生の一部がわかる

・ 暇つぶしになる

・ 修理の奥深さ、難しさが何となくわかる

上記のことがわかります。

今回は前回の記事に比べるとプライベート感がやや少なく修理に関する内容がありますので、修理に興味のある方は役に立つことがあるかもしれません。

 

 

通勤圏内の物件探し

あすか修繕堂で働くことが決まりました。

会社は奈良県の橿原市という所で、自分は北海道の千歳市に住んでいたので、北海道から奈良県に引っ越しをしなくては通勤できません。

北海道に帰る前に会社の通勤圏内の物件探しをしました

家

『道の駅』で車中泊をしながら不動産屋巡りをしました。

11月下旬の奈良県は盆地なので最低気温は0~5℃ぐらいです。

毎日凍える寒さでしたが、節約のため風呂もほとんど入っていません。

寒い

しかし仕事が決まっていたことでテンションも上がっていたし貧乏旅には慣れているので、そんな寒さすらも楽しんでいました。

 

約1週間で住むところが無事に決まりました

 

 

北海道行きのフェリーに乗る前日の夜は贅沢(贅沢の尺度が人とは少しズレている自覚はあります)に『あすかの湯』と言うスーパー銭湯にはいりました

数日間、風呂に入っていない冷えきった身体に『あすかの湯』&『未来への期待』は幸せすぎました。

 

♨♨♨♨

 

次の日に太平洋フェリー(名古屋~苫小牧)で北海道に帰りました

太平洋フェリー

余談ですがこの太平洋フェリーは今まで(愛知県や三重県に何度も出稼ぎに行っているため)30回以上乗っていますがメチャクチャ気に入っています。

このフェリーのメリットを上げると・・・

・ 2泊できる
・ 夜はコンサート的な物がある(暇つぶしに最高)
・ 途中、仙台で買い出しが出来る
・ 綺麗で豪華(いしかりと言うフェリーがオススメ)
・ 海を眺めながらの大浴場が最高
・ バイキングがおいしい(夕食は高め)
・ 読書をするのに良いシチュエーション(自分は小説を2冊持っていきます)
・ 早割が超お得(オフシーズンで1ケ月前のネット予約が必要)
・ 名古屋から北海道に行ける
・ 船内に自販機がある
・ 船内を散歩できる
・ トイレがある
・ 寝れる
・ 海が見れる

こんなにもメリットがあります!

国内の長距離フェリーはいっぱい乗りましたが一番のお気に入りです。

長い船旅が好きな方にはオススメです。

北海道との別れ

北海道は約15年間、根城にしていました。

と言っても内地(北海道では道外のことを内地と呼びます)で期間従業員で旅資金を稼いだり、旅をしていたので実際に北海道に住んでいたのは数年程度です・・・

地元の兵庫県から北海道に移住する前は北海道に強い憧れを持っていました。

北海道  開陽台付近

北海道をバイクで放浪していた時に1つの景色を見て『北海道に住もう』と刹那に決断しました。
※ 自分は一瞬のひらめきや思い付きで人生の大きな決断をする悪いクセがあります。

しかし移住することに対して周囲は賛成をよりも反対の声の方が圧倒的に多かったです。

 

「仕事はどないすんねん?」

「給料メッチャ安いで」

「北海道なんて人の住むとこちゃうで!」
※ 偏見がエグイ

「寒いぞ~」

「夏の良いとこだけ経験したから住みたいって思っただけや。」

「冬はバイク乗られへんやん」

「絶対後悔するわ」

 

大半がこのようなマイナスの意見でした。

 

しかしこの頃の僕は若いしアホです。いい意味でも悪い意味でも自分を持っていました。

反対されればされるほど移住への決心が固まっていきました

 

「やらないで後悔するよりも行動したことに後悔したい」

 

こんなことを思っていました。

しかもアホやからそんな生き方がカッコいいと思っていました。

 

結果的に北海道に移住してからの15年間は、数年で離婚、その後定職にも就かず浮浪者、世捨て人のような生活をしていました。

傍から見れば

 

「散々な人生」・・・

 

だと思います。

しかし自分の中では濃密で楽しい貴重な15年間でした。

詳しくは前回の記事【あすか修繕堂(修理会社)と私の出会い】をご覧ください。

 

 

北海道に戻ってから数少ない友達に報告しました。

・ 北海道を離れて奈良県に住むことになった

・ 奈良県で修理の仕事をすること

・・・なんの相談もしていなかったので多少驚かれましたが、自分のことをよく知っている人達なのですんなり納得していました。

 

次は引っ越しの準備です。

 

引っ越しってメチャクチャ面倒くさい・・・

 

・ 要らなくて売れる物はオフハウスで売る
・ 要らなくて売れない物はゴミ集積所に持っていく
・ 洗濯機を引き取り場所まで持っていく(引っ越し代を考えるとリサイクル料を支払っても新品を引っ越し先で購入した方が安い)
・ 各種住所変更(免許証、住民票、その他もろもろ)
・ 各種手続き(電気、水道など)
・ 車に積みきれない物をゆうパックで送る
・ スーパー、ホームセンターなどにダンボールをもらいに行く
・ 荷造り
・ 部屋の掃除

 

こんなとてつもなく面倒くさい作業をして何とか車に荷物が積みおわりました

車に積み終わった

学生の頃からテトリスが得意だったので何とか積み切ることが出来ました。

引っ越し代はゆうパックの数千円で済みました。

ダンボール

 

千歳のマンションから苫小牧のフェリー乗り場まで約30キロです。

バックミラーは全く見えませんし、助手席にも荷物が満載のため左サイドミラーは身体をかなり前に動かさないと見えません。

道路も積雪、凍結しているので慎重に運転しました。

 

途中、セイコーマート(コンビニ)のホットシェフでフライドポテト(ガーリック)を買いました。
※ ローカルな話ですみません

ホットシェフ ポテト

「しばらくはこれ食われへんなぁ・・・」

こんなことを思いながら駐車場でしんみりと食べました。

 

リクライニングも出来ない状態(荷物満載)だったので、食べ終わると早々に近くの苫小牧イオンで買い出しをして苫小牧~名古屋のフェリーに乗りました

 

・・・北海道をあとにしました。

足跡

 

初めての修理まで

奈良県に引っ越した3日後に会社に出社しました。

出社

当たり前ですが、いきなり修理をやらせてもらえるわけではありません。

最初は物販の仕事を教えてもらいました。

Amazon」、「楽天」、会社独自の「ネットショップ」この3つの所から部品を販売しています。
※ 修理を受けているのは「楽天」と「ネットショップ」だけです。

当然ですが各ショップごとにシステムが変わります。

今までこういった仕事は経験がなく意外と覚えることも多く、戸惑いがありました。
2日間は担当の人に教えてもらいながらやってましたが3日目からは一人でやらなくてはいけません。

※ 完全に見放されるわけではありません。わからない場合は聞けば教えてくれます。

 

「これ責任重大やん」

「まだ使用期間やし重大な失敗したらクビになってまうかもしれん!」

「間違えたら客に迷惑がかかってまうやん(もちろん会社にも)」

こういったプレッシャー、緊張や不安もありましたが、特別大きなミスはなく徐々に慣れてきました。

時が経つ

約1週間ほどすると社長の横で、修理をしている所を説明されながら見させてもらいました
説明されていることや修理していることの半分も理解できていませんでした。

 

しかし・・・

 

「これどういうことですか?」

「今の説明、意味が全く分かりませんでした。」

「そもそも今何をやってるんですか?」

「皆目わからないんですけど・・・??」

 

こんな質問や疑問が頭の中にいっぱい出てきましたが、修理の邪魔をするわけにもいかずひたすらわからないなりに修理をみていました

初修理

その2日後ぐらいだったと記憶しています。

物販の仕事がひと段落ついた頃に・・・

 

社長「この修理やってみよか」

 

と言われました。

 

レターパックプラスに入っている「3DS LL」を渡されました・・・

 

3DS

 

社長「上液晶の修理やな。」

 

自分(心の声)「え???」

「いきなり??」

「自分が??」(他に誰がおんねん)

「客の3DS LLやん!!」

「失敗したらヤバいやつやん!?」

と戸惑いましたが・・・

 

自分「あ・・・はい。」

 

いきなり客の「3DS LL」の上液晶パネルの修理をやることになりました。

 

自分(心の声)「壊したらどないしょう」

「教えてもらいながらやったらできるかな?」

「いやいやいやいや」

「そんなんいきなりできひんって!」

「でもなんとかなるか?」

「ならへんならへん!」

「ムリムリムリムリ!!」

 

そんな自信の欠片もないまま初めての修理をすることになりました。

手が震えました(壊す確率さらにUP)

 

丁寧に親切に教えてもらいがら奮闘すること約4時間

 

なんとか無事に(壊さずに)修理完成しました。

慣れている人なら30分ぐらいで出来る修理です。

いつもは17時で仕事が終わりなのですが、この日は中途半端な状態では帰るわけにはいかず19時30分頃まで残業しました。

・ 修理が初めてで慣れていない
・ 客の3DS LL
・ 社長の見てる前での初めての修理

長い時間働いていたわけではありませんでしたが、修理前と修理後で5歳ほど老けたような気がするぐらい精神的に疲労困憊でした。

疲労

zzzz

 

修理の難しさ

僕は修理をなめていました

今まで多種多様な仕事をしてきました。
何処の職場で働いても数ヶ月も経つと平均以上の仕事はいつもこなせていたつもりです。

だから今回も・・・

「修理もすぐに出来るようになるやろ」

と高を括っておりました。

しかし修理の道はあまくはありませんでした。

険しい

今までやってきたどんな仕事よりも遥かに難しく奥が深い仕事でした。

分解と組み立て

修理は、基本的には機器を分解して壊れている部品を交換して組み立てることです。
※ 壊れている部品自体を修理することもあります。

こう言ってしまうと簡単と勘違いしてしまう人も多いかと思います。

しかしほとんどの機器は分解や修理を前提に作られていないものなので、非常に分解がやりにくいことがあります。

・ 両面テープでガッチガチに固定されていて外れない
・ 分解時にキズが付きやすい
・ 分解時に割れやすい
・ 外す際にケーブルが断線しやすい
・ ネジが固い

自分のゲームコントローラーが壊れて自分で修理をする時は、多少キズが付いても気にしませんがお客様の機器となれば話は全く違います。

たかが分解と組み立てですが、責任重大な仕事です。

はんだごての奥深さ

修理と言えばはんだごてを使う』というイメージを持っている方が多いかと思います。

はんだごて

自分は少なくともそういうイメージがありました。

はんだごてに対する先入観の矛盾

当時、修理をする前は

・ 修理=はんだごてを使う
・ はんだごてを使う人=職人
・ 職人=難しい技術が必要

このような先入観がありました。

 

しかし一方で現実的に考えると・・・

・ はんだごてはただ熱くなっているだけの鉄の棒
・ はんだごては当ててはんだを溶かすだけの物
・ 特別な技術が必要とは思えない

こんな風にも思っておりました。

職人のイメージは有るけどそんなに難しい物とは考えづらい

自分の中でこういった矛盾があったので非常に興味がありました

矛盾

初めてのはんだごて

中学の頃に技術工作の授業でラジオを作った記憶があります。だから厳密には『はんだごて』を使うのは初めてではありません。

しかしそんな遠い昔に1,2時間やっただけなので完全に忘れています。
ほぼほぼ初めてと言っていいぐらいのレベルです。

 

初心者マーク

 

社長に基本的なはんだごての使い方を教えてもらい、物販で販売しているWiiUゲームパッドのスティックの取り付けをやりました。

wiiuゲームパッドスティック

慣れている人がやるとメチャクチャ簡単なのですが、初心者の自分には綺麗に付けれませんでした。

そんな感じで悪戦苦闘している時に横から社長に言われた一言を今でもはっきりと覚えています。

 

社長「はんだのコツはな・・・はんだの気持ちになることや」

 

自分(心の声)「・・・!!」

自分「・・・??」

自分「???」

自分「どういうこと??」

自分「擬人法!?」

自分「ボールはともだち的な??」

 

その社長の一言はすごく印象には残りましたが、その時は何が言いたいのか全く理解できませんでした。

はんだの気持ちの意味

日々はんだごてを使って修理をしていると徐々に慣れてきて、今までは出来なかった難しいはんだ付けも出来るようになってきました。

上達する過程でよく自分が思い出すことは社長に言われた「はんだのコツは、はんだの気持ちになること」と言うことでした。

 

今になって思うあの時の社長が言いたかったこととは・・・

 

はんだの気持ちになる→はんだの性質を知る→現状のはんだの状態を知る→次にやる行動がわかる

 

こういったことだと勝手に解釈をするようになりました。
※ 答え合わせはしていないので間違っているかもしれません。

このことを理解すると

・ イモはんだになったとき
・ ブリッジしてしまったとき
・ はんだごてを当てていてもはんだがうまくのらない
・ はんだが溶けない

このような状態になった時に、その状況に合わせてどういう対処をすればよいかがわかるようになってきました。

はんだごての扱いに慣れてくるほどはんだごての技術は手先の器用さではなく、知識、経験、想像力だと思うようになりました。

知識や経験があれば基板にのっているはんだの現状を理解すると次にやるべき行動がわかってきます。

次は何?

一筋縄ではいかない修理道

はんだ付けや分解、組み立てなどの作業が慣れて問題なくできるようになっても、修理は一筋縄ではいきません。

症状は同じでも壊れている箇所が違う

同じ機器の同じ症状でも壊れている箇所が違うことも多々あります。
症状の微妙な違いやその機器の過去の修理歴、分解歴などを考慮してその壊れた箇所の原因を見極めないといけません。

例えばジョイコンがスイッチ本体に認識しない故障ですが、この修理の故障原因は様々です。

① ジョイコン側レールの故障、または接触不良

② 本体側レールの故障、または接触不良

③ ジョイコン側、本体側レールの分解によるケーブル断線

④ ジョイコン側、本体側レールの分解によるラッチの破損

⑤ 本体側の基板故障

⑥ ジョイコン側の基板故障

分解歴や修理歴がなければ③、④の故障は通常ありません。
①~③に関してはただジョイコンのレールと本体のレールを交換するだけで直ります。
④のラッチ破損はそれなりのはんだ技術が必要です。
⑤、⑥の故障に関しては原因を見極める知識や経験がないと難しいです。
⑤の本体側基板故障に関しては複数の原因があります。

このように一つの修理に対しても色々な原因が考えられるため、修理というのは一朝一夕で出来るものではありません

STEP BY STEP

充電コネクター付け替えのはんだ作業

充電コネクター(microUSB)の交換修理は1000台以上修理してきました。
※ 画像はVITA2000専用の充電コネクターです。

充電コネクター

同じmicroUSBの充電コネクターを付け替える作業一つでも難易度が大きく変わってきます。

・ 簡単に外せて簡単に取り付けられるもの

・ 機器の基板によって熱が伝わりにくくコネクターを外しにくいもの

・ パターン剥離しているもの(ジャンパー処理が必要)

・ ジャンパー処理がやりづらいもの(近くにコンデンサーがあるなど)

・ コネクターを固定する足がパターン剥離していて強度が出しづらいもの

細かいことを言えばまだまだありますが、捉え方によっては愚痴と思われるかもしれないのでこれぐらいにしておきます。

 

修理のはんだ作業はこのように同じ修理でも同じ作業をしていれば良いという訳ではないと言うことです。

流れ作業

あすか修繕堂と言う会社

僕は今まで履歴書に書ききれないほどの転職をしてきました。

チェンジ

決して自慢できることではありませんが、色々な職場で働いた経験から会社と言う組織はこういうものと言う常識を普通の人よりは持っているつもりです。

『あすか修繕堂』はその常識を良い意味で裏切られた会社でもあります。

マニュアル化していない

会社という組織は基本的に作業はマニュアル化されています。

手引き

大企業のマニュアル化

特に大きな会社ほどその傾向は強く、一例を上げると工場の期間従業員で働いていたときなどは・・・

・ 『作業要領書』という各工程のマニュアル通りに仕事をしなければいけない
・ 『作業要領書』に書いていないことは絶対にしてはいけない(夜勤は例外あり)
・ 朝礼時の指差呼称や安全唱和

こんなことは当たり前です。

毎日30分ぐらい朝礼をする職場もありました。
話を全く聞いていなくても何の支障もありません。

この職場にいた時は・・・

「毎日毎日しょうもない話ばっかりして・・・」

「はよ終わらへんかな・・・」

「そもそも話がおもんないねん!」

「もっと話の合間に笑いを入れろや」
※ 関西人の悪い癖

「毎日朝礼で目標達成してないみたいなこと言うてるけどこの朝礼が原因やろ」

「アホちゃうか」

頭の中でこんな悪態をつきながら班長のありがたいお言葉を聞いておりました。

 

仕事中に機械トラブルで機械が止まってしまった時は、自分が直す方法を100%わかっていたとしても直す権限を持っている社員の人に報告しにいかないといけません

こういうルールで縛り付けている会社で働いていると、最初はもどかしかったり不満もありました
しかし逆に言えばルールやマニュアルさえ守っていれば何を言われることもありません

仕事のやりがいや面白みは全くありませんが、給料がよかったし短期間で貯金をするのが目的だったので特に不満もなく割り切って『作業員A』に徹していました。

 

車関係の工場は従業員の交通事故には非常に厳しく、同じ班の従業員が通勤途中に事故を起こして連帯責任で仕事前に会社の門の前であいさつ運動を(1~2週間)やらされることも(2回)ありました。

もちろん給料は出ません。

怒り

自分には何の落ち度もなかったのでやるせない気持ちでした。

こういった車関係の工場は少し極端ですが、会社は基本的にマニュアル化、ルール化されているのが当たり前です。

 

あすか修繕堂の場合

あすか修繕堂は今まで働いた会社との一番の違いは『仕事がマニュアル化されていない』ということです。

良く言えば『自由に仕事がやれる』

悪く言えば『何をすればいいかわからない』『どうすればいいかわからない』

とも言えます。

このことはメリットでもありデメリットでもあるのですが、後々になって感じたことがあります。

修理と言うマニュアルが通用しない仕事をしている会社だからこそ、マニュアル化されていないのではないかと勝手に解釈していました。

 

社長の真意はわかりません・・・。

 

修理のやり方もマニュアル化されている訳ではないので、ある程度の数をこなした修理はやり方が変わってきます。

例えば「NEW2DS LLの上液晶パネルの交換修理」は社長のやり方と自分のやり方ではかなり違うと思います。

僕はこの修理を初めてやった時から分解のやり方や分解する順番などをかなり変更しました。
合計すると10ヶ所以上やり方を変更しています。

おそらく社長もやり方を色々と改善して修理していると思います。

例えると登山の山頂に行くには色々なルートがあります。
遠回りするルートもあれば最短ルートもあります。
しかしどのルートで言っても最終的には同じ頂上にたどり着きます

修理もある意味同じで最終的に直ってお客に満足してもらえればやり方はどんなやり方でも良いと言うことです。

だから修理を繰り返すことによって「より安全なルート」や「より最短なルート」の発見があります。

危険なルート

社長への信頼

自分はこの会社に拾ってもらったと言う気持ちが強くありました
詳しくは働くきっかけになった記事【あすか修繕堂(修理会社)と私の出会い】をご覧ください。

また少人数でやっている会社であるため、自分一人のウエイトが会社にとって大きいという自覚がありました。

だから・・・

・ 自分が仕事を失敗すると会社の損害が大きい

・ 会社に損害は与えることはできない

・ 自分が働くことで会社の利益を上げたい

・ 社長に自分を雇って良かったと思ってもらいたい

綺麗ごとのように思われるかもしれませんが純粋にこういった思いで働いていました。

またこういった思いを裏切らない会社であり、社長でした。

今までの『転職ガチャ』で一番『アタリ』でした。

ガチャ

 

物販の仕事は間違えないように気を付けてやっていれば失敗はありません。

しかし修理の仕事はどれだけ気を付けていても失敗する可能性があります

・ 失敗して部品を壊してしまうと会社にとってこれぐらいの損害になる

・ 失敗して客の機器を壊してしまうと会社にこれぐらいの損害になる
なにより客に迷惑がかかる

そんなことを考えながら修理をしていましたのでとにかく神経を使いました

修理の仕事は

『額に汗して働く仕事』ではなく

『額に冷や汗をかいて働く仕事』です。

 

修理をしていて少しでも疑問に感じたり1%ぐらいの確率で壊してしまう可能性があると感じると、次の行動をする前に必ず社長に相談していました。

社長としては「そんなことぐらいでいちいち聞きにこんでもええのに」と思っていたと思います。

しかし多少鬱陶しいと思われても失敗して壊してしまうより100倍いいと思って相談していました。

会社のためと思って事細かに相談していたことが、結果的には自分の修理力の向上に役立っていたと感じています。

給料の上がり方

会社にもよりますが、普通は年に1回昇給があります。
一般的な会社は昇給額は5000円程度です。

昇給

僕が『あすか修繕堂』で働きだした頃は使用期間と言うこともあってバイトで時間給でした。
奈良県の最低賃金だったと記憶しています。

傍からみればいい歳をしたおっさんが最低賃金で働いているなんて情けないと思われるかもしれませんが・・・

・ 修理の仕事が出来る喜び
・ 修理技術を無料で学べる
・ ゲーム機に携われる仕事に就けた

その頃はこういった気持ちが強かったので不満は全くありません。
『雇ってくれるなら使い物になるまでは給料もらえなくてもいい』ぐらいの思いだったので感謝しかありませんでした。

 

仕事を初めて2~3ヶ月ぐらいで時給を上げてもらいました。

その2ケ月後ぐらいにさらに時給を上げてもらい社会保険も付けてもらいました。

その更に1ケ月後ぐらいには「正社員にならないか」と言う打診を受けました。

社員になると・・・

・ 給与が固定給
・ 昇給がある
・ 賞与がある
・ 有給がある
・ 簡単にクビにはならない

このようなたくさんのメリットがありました。

しかし自分にとって1つのデメリットがありました。
今までは週休3日だったのですが、週休2日にしてほしいと言われたことです。

 

・・・

 

・・・

 

・・・

 

一瞬で色々と考えましたが・・・

 

「今のこの・・週休3日と言う状況が・・・・・自分はすごく気に入っています・・・」

 

とだけ返事しました・・・

 

社長「そうか~」

 

これで話は終わってしまいました。

終わり

自分にはもったいないほどの良い話を頂いたのですが・・・

残業もほとんどなく週休3日なので時間的にはかなり余裕があったのですが、慣れていない修理の仕事は神経をすり減らしてやっているので休みが自分にとって非常に貴重でした。

「これでバイトのままやなぁ・・・まぁ修理の仕事は今まで通り学べるからいいか・・・」

と思っていました。

 

 

しかしその数日後、正社員の手続きをしてもらいました。
しかも週休3日のままで!

感謝しかありません。

 

正社員になってからも一般的な会社では考えられないほどの昇給をしてもらいました。

半年に1回の賞与(ボーナス)もありましたが、それとは別に会社の業績が良かったからと言うことで臨時賞与みたいなものも数回頂きました。

 

同じように業績が上がっていても従業員に還元するということが出来る社長は非常に少ないと思います。

こういうことが出来る社長を尊敬しています。

 

特殊な仕事

物販や修理が主な仕事でしたが、働いていた中で最も大変で印象に残っている仕事が「留守番」でした。

仕事を初めて1年と3、4ケ月頃だったと思います。
社長が家族で中国の方に仕入れに行かれました。

飛行機

自分はその9日間ぐらいを一人で留守番していました。

時間がかかる修理や難しい修理などは止めてもらっていたのですが、一人でやると想像以上にキツかったです。

 

1日の仕事の流れは・・・

 

出勤して

・ 鳥、2匹の犬に餌をやる

・ メールのチェック

・ 物販の発送

・ 物販が片付いたら修理

・ お昼になれば急いで食事

・ 犬の散歩

・ 修理が終われば修理品の返送

・ その間に注文のあった物販の発送や修理

・ 時間になると仕事帰りに郵便局に配達

・ その他の雑用、電話番など・・・

 

実際にやってみると時間が全然足りませんでした。

時間的にキツいのはもちろんですが、何かトラブルがあったときに誰も頼る人がいないと言うことが精神的にキツかったです。

社長には

・ 残業はしなくていい
・ 仕事が残ったら残したまま帰っていい

そう言われていました。そもそも郵便局が閉まってしまうので、強制的に仕事が終わらされます。

しかし残して帰っても誰かがやってくれる訳ではありません。
次の日に仕事が山積みになって自分がストレスを抱えて仕事をするだけです。

本が山積み

それが嫌でその期間は毎日1時間ほど早く出勤して仕事をしていました。

一番忙しかった日は日曜日で少し遠くの橿原郵便局までお昼に配達に行かないといけなかった時です。

持ち込み修理なども入りメチャクチャ忙しかったので配達の運転中の信号待ちで昼飯を食べていました。

赤信号

精神的にも赤信号でした。

 

忙しい理由の一つが犬の散歩でしたが、自分にとってはこの犬の散歩の時間が仕事中唯一の安らぎになっていました。

 

・・・長い9日間がやっと終わりました。

大きなトラブルもなく何とか終わることが出来ました。

 

最終日に帰ってきた社長の顔をみて安堵したのを今でも鮮明に覚えています。

副業について

今、自分が経営しているネットショップは会社に勤めている頃からやっていました。

と言ってもこそこそと内緒でやっていた訳ではありません。
そもそも最初の面接で、将来的に修理の仕事で独立したいと言う話もさせて頂いていました。

 

ある日、社長に飲みに連れて行ってもらいました。

お酒

その時に修理の副業を勧められました。
いつか仕事を辞めていきなりショップを立ち上げて独立するよりも仕事をやりながら副業的にやっていったらどうかという話をしてもらいました。

副業を勧める社長と言うのも珍しいですが・・・。

それがきっかけで副業を具体的に考えるようになりました。

ヤフオク

最初はヤフオクで修理をやってみました。
ヤフオクは適度に注文も入り良い副業だと思っていましたが、3ヶ月ほどで止めました

ヤフオク

止めた理由は一つの修理品がきっかけです。

プロコンのスティック修理のご注文を受けました。
その人はひと月前に他の人からヤフオクで修理に出したけど、すぐに症状が再発したために自分に修理を依頼してきたと言う訳です。

接点復活剤や掃除をしただけで部品は交換してないのでは・・・?

と疑っていました。

そのプロコンが送られてきて分解してみるとスティック自体は交換されていました
しかしそのスティックがプロコン用ではなく明らかに耐久性が良くない作りをしている物でした。

スティックのはんだ付け箇所をみて愕然としました。

 

なんじゃこりゃあ!』(殉職風)

 

素人そのものでした。

 

はんだづけも汚くてかろうじて付いている感じです。掃除もしていなくてはんだボールなども基板にいっぱい付いていて、ショートして誤作動していてもおかしくない状態でした。

 

このプロコンの修理跡をみて

「自分も客からはこの人と同類に見られている」と思いました。

自分は客の機器を預かって責任を持って手抜きも妥協も一切せずに修理をしています。
部品の検査、選定もかなり厳しくしています。

プロコンスティック

傲慢だと思われるかもしれませんが、この素人のような修理をしている人と同じ扱いはされたくありませんでした。
プロとしての誇りみたいなものも捨てたくありませんでした。
ひとつの収入源が減ることになりますが、ヤフオクは止めてネットショップを立ち上げることにしました。

※ あくまで自分が経験した一例です。
ヤフオクでもしっかりと修理をしている方もおられると思います。(自分自身がそうだったように)

ネットショップ

社長に副業を勧められていたとはいえ、さすがに社長に許可も取らず勝手にネットショップを立ち上げるのは良くないと思ったので社長に相談しました。

相談

相談するとすんなりと受け入れてくれました。
色々とアドバイスも頂きました。

会社を辞める理由

会社を辞めた理由はいっぱいあります。
理由は一つではありません。

周りの人は会社を辞めたら

「何で辞めたん?」

と軽く聞いてきますがとても一言では言えません。(特に今回の場合は)

会社を辞めることによってのメリットやデメリット、将来のことなど毎日悩みに悩んでメチャクチャ色々なことを考えて決めました。

その中でも特に大きな理由が2つありました。

・ 体調不良

・ このまま仕事を続けていると独立が出来ない

仕事を続けていると修理の技術向上や勉強にはすごく役に立ちます

一方でこのまま仕事を続けていても、立ち上げたネットショップの売り上げは一向に上がらないと感じていました。

横ばいグラフ

理由は

・ 集客の作業が勤めていると出来ない(時間が足りない)
・ ネットショップで問い合わせがあっても働いている時は返事が遅くなる
・ 仕事をしている時に修理品が家に届いて不在通知が入っていることがあり客に迷惑がかかる
・ 客を満足させるサービスが提供できない(待たせてしまう)
・ やりたいことがメチャクチャあるが会社に遠慮してしまう

要するに辞めてからでないと出来ないことだらけだったからです。

もしも自分のネットショップが忙しくなってくると、会社に迷惑がかかってしまうことにもなると感じていたので何も出来ませんでした。

 

また、当時は体調がすごく悪かったので急遽辞めることになるかもと言う不安がありました。

今まで世話になった会社を急遽辞めることになると会社に迷惑をかけてしまいます。
それだけは避けたかったのも辞める理由の一つです。

他にも辞める理由は細かいことを言えばキリがないですが、主にそういった理由で会社を辞めることを決意しました。

社長に辞めることを報告

社長に会社を辞めることを報告しました。

ものすごく言いにくかったけど言わない訳にはいきません。

相談

報告した時、社長は自分がもうすぐ辞めることを察していたように感じました

 

辞める約2ヶ月前に話したのですが、その後も自分のこれからのことを心配してくれて色々と相談に乗って頂きました。

独立後のあすか修繕堂との関係

現在は『あすか修繕堂』とは特に関りはありません。

 

しかし辞める前に特殊な部品が急に必要になったときは、安く譲ってほしいとお願いしていました。

1度だけどうしても必要な部品があり、譲ってもらうことになり会社まで取りに行きました。

その時に社長に飲みに誘って頂きました。
断る理由は全くありません。

 

社長「ちょっと今やってるやつ(修理品)が終わるまで待っといて」

自分「(修理品がけっこう溜まっていたので)簡単なやつ(修理)やりましょうか?」

社長「あ、ホンマに?」

自分「あ・・でも万が一クレームがあったらややこしいですよね・・・」

社長「かまへん、かまへん」

自分「そうですか。じゃあ・・・」トラブルなどになりにくそうなジョイコンやプロコンを2台ぐらいやろうかと思いました。

社長「これやって」

自分「あ、はい」
既にプロコンを手に取っていたのですが、社長に渡されたのはNEW2DSLLの上液晶割れの修理でした。

 

「軽いすぐに終わりそうな物をやろうと思ってたのに本格的なやつやん」

 

特に問題はありませんが一瞬面喰いました。

 

かつて自分が修理に使っていた机で修理をすることになりました。

 

 

「懐かしいなぁ・・・」

「ここでいったい何個修理したんやろう・・・」

「この机、この椅子 懐かしい・・・」

 

たった数ヶ月前のことがものすごく昔のように感じました。

修理

懐かしんでいる間に修理が終わってしまいました。

 

修理が終わった後、社長に飲みに連れて行ってもらいました。

 

仕事の話、プライベートな話など色々なことを話しました・・・。

お酒

飲んだ帰りに・・・

この会社で働いて良かった

この社長の下で働いて良かった

と改めて感じました。

 

会社に勤めるきっかけに運命的なものを感じていたのですが、運命に身を委ねて正解だったと思っています。

 

会社に勤めるきっかけの話【あすか修繕堂(修理会社)と私の出会い】も読んでいない人は読んでもらえたらうれしいです。

コメント

  1. ひぐち より:

    とても素敵なお話でした。
    あすか修繕堂さんの動画をよく見ていて、社長の人柄が好きなのですが、もっと好きになりました。

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