この記事は自分語りをする「おっさん」のプライベートな話です。
Part2はこちら【【続】あすか修繕堂(修理会社)と私の出会い】です。【追記:2022年4月29日】
僕はあすか修繕堂と言う修理会社に約4年間勤めておりました。
YouTubeでよく動画を上げている会社です。修理に関しての有益な動画もたくさんありますので宜しければご覧ください。
この会社で勤めたことが自分の人生のターニングポイントの1つになりました。
現在は会社を辞めて自分でネットショップ(ゲーム機やゲームコントローラーの修理)を経営しております。
あすか修繕堂では修理技術はもちろんのこと、それ以外にも今後の人生で役に立つことをたくさん学ばせて頂きました。
まだ会社を辞めて日は浅いですが、社長にお世話になった感謝の気持ちを忘れないためと言う意味(備忘録)を込めて記事を書くことにしました。
・ 何故あすか修繕堂で働くことになったのか
・ 働くまでの経緯
についてのお話をします。
この記事を読むと
・ 一人のおっさんの人生の一部がわかる
・ 長い話なので良い暇つぶしになる
・ 筆者のヘタレ人生が垣間見える
こんなことがわかります。
反面教師として何かの役に立つ可能性があります。
大半の人は読んでも何の役にも立ちません。
暇な方はじっくり読んでください。
あすか修繕堂に勤める前の生活
あすか修繕堂に勤めるまでの僕の人生は・・・
・ 社外不適合者
・ 世捨て人
・ 定職に就かない貧乏な旅人
・ 半ホームレス
と言う状態でした。
今後、社会復帰をすることは二度とないと自分で思ってましたし、する気もありませんでした。
もともと関西生まれの関西育ちでしたが、北海道に強い憧れがあって20代の頃に北海道に移住しました。
北海道に移住すると同時に結婚しましたがすぐに(約3年)離婚しました。
離婚後は完全に独り身になったので、何の責任もありません。
自分のやりたいことをやりたいだけやっていく人生に変わりました。
結婚していた元嫁には申し訳ないですが、離婚した瞬間に
「自由を手に入れた!! 人生最高!!」
こんな気持ちで満たされました。(最低なおっさん)
そもそも自分は結婚には向いていない性格なのです。
申し訳ない限りですが自分にとって「結婚は若気の至り」でしかありませんでした。
独りは嫌ですが、一人でいることが好きで放浪癖もあるような人間が、結婚なんてするものではありませんね。
また若い時は極端に包容力もなかったような気がします。おちょこのような器です。
さらに定職に就いて仕事をするのが大嫌いでした。
仕事自体が嫌いではないのですが、決められた時間に決められた場所に行かないといけないと言うのがたまらなく嫌でした。
バイクで旅をするのが大好きだったので、離婚後は仕事もろくにせずひたすらバイクで旅しておりました。
旅のスタイルは・・・
・ 無料キャンプ場以外は泊まらない
※ 1ヶ月に1泊ぐらい有料キャンプ場かライダーハウスに泊まってました
・ 長い時はひと月以上同じキャンプ場で生活する
・ 風呂は週一しか入らない
・ 燃費の悪いバイクだったのでたまにしか乗らない
・ 暇つぶしは人にもらった本やブックオフで105円で買った小説
こんな感じですので旅資金はひと月に2~3万ほどです。半年ほど旅をしても15万円ぐらいしか使わない極端な貧乏旅でした。
典型的な滞在型のキャンパーです。
離婚してからの約15年の内、7~8年はテントに泊まっていました。残りの半分は期間従業員で住み込みで働く(旅資金を稼ぐ)と言う「人生の底辺」をひたすら歩き続けていました。
住所がないと期間従業員で雇ってもらえないので、一応賃貸のアパートを借りていましたが・・・
・ 荷物置き場
・ 住所置き場
・ 郵便物置き場
の専用と化していました。
傍から見るとどうしようもない人生を送っているように映っていたと思います。
しかし、世間からの見た目とは反比例して自分自身は好きなことを好きなだけ出来る人生でメチャクチャ幸せでした。
しかしそんな楽しい旅人生も徐々に楽しくなくなってきます。
非日常な旅が大好きだったのですが、旅をやり過ぎると非日常ではなくただの日常になってしまいます。
テントに泊まる、バイクで知らない土地を走ると言うことがただの日常になってしまうのです。
毎年長旅をしている自分のような人間は基本的に毎年同じような旅をします。
旅に自分のルーティーンみたいなものが出来てくるのです。
毎年6月はこのキャンプ場で過ごす、7月になったらここに移動すると言うようにお決まりの旅ルートが出来てきます。
僕が知る限り毎年旅をしている人の8~9割はこういう旅のスタイルになっています。
そのため毎年同じキャンプ場で同じ人と出会います。
最初の頃は
「メッチャ偶然やん!」、「運命的な再開やん!」
と再開に素直に感動していました。
しかし慣れてくると
「またあいつおるわ」
次の年
「毎年毎年何考えてんねん」
そのまた次の年
「ええかげん働けよ」
自分のことは棚に上げてます。
ぐらいにしか思わなくなってきます。
旅自体に飽きてくるきっかけとなったのが、今までの最長の旅です。
この旅をするまでは、長くても旅は半年ぐらいだったのですが、そのときは約1年8か月ほどの長旅をしました。
暑い夏は涼しい北海道で、寒い冬は暖かい沖縄で過ごしておりました。
そんな長旅も1年を過ぎるとまた同じ場所に戻ってきます。
その時に無性に虚しく感じました。
おそらく同じ旅の途中でまた同じルーティーンに戻ると言うことが虚しく感じるきっかけになったのだと思います。
「こんな旅ばっかりしてて何が楽しいねん!?」
「毎日毎日同じ奴らと同じようなしょうもない話して何が楽しいねん!?」
自問自答する日々が続きました。
やっていることは同じなのに、あんなに楽しかった旅がこんなに虚しく感じるようになるとは思いもしませんでした・・・。
気持ちが病んでいました。
一時期は
「人生おもんない、死にたい、死にたい、死にたい」
大げさではなくこんな感じになってました。
「人間って我がままで欲張りにできてるな・・・。」って思いました。
例えば今現在、自分が思い描いている幸せな生活が全て叶ったとしても、数年経つと物足りなくなって虚しく感じてしまうような気がします。
人生で満足なんて出来ることはないんですかね・・・。
ゲーム機修理を目指すきっかけ
そんな長旅を終えてまた期間従業員で出稼ぎを始めると、多少は旅をしたくなって心も健康に戻ってきました。
しかし今までのような旅の情熱はなくなっていました。
旅をしても以前ほどテンションが上がりません。
・・・ただ単に歳を取っただけかもしれませんが。
その後もしばらくは惰性で「旅」⇔「期間従業員」を繰り返していました。
離婚して自由を手に入れた直後の頃は「旅」→「期間従業員」→「旅」→「期間従業員」の繰り返すこの生活が一生続けばこれ以上の幸せはないぐらいに思ってました。
旅も飽きてきましたが、期間従業員には徐々に限界を感じるようになってきました。
・ 日勤と夜勤の切り替えがキツい(昼夜逆転の調整することが難しくなる)
・ 体力的に徐々にキツくなってきた
・ 今はまだいけるけど50代になったら体力的に持つか心配
・ 50代になっても採用してくれるのかと言う不安
こんなことを考えるようになってきました。
これが期間従業員の末路か!?
こんな感じでいいかげん「旅」「期間従業員」と言う生活に嫌気がさしてきたので、今後何をするかを探し始めてました。
「今更サラリーマンなんてやる気がない」「何か自分で経営したい」「好きなことを仕事にしたい」
そんなときに、「ゲーム機の修理の仕事」を思いつきました。
その頃は、期間従業員をで働いている時に「ゲーム」が趣味になっていました。
期間従業員は旅資金を貯めるために来ています。
休みもお金を使わないようにと「ゲーム」をして時間をつぶそうと思ったのがきっかけです。
元々ファミコン世代でゲームは好きだったのですが、20歳ぐらいから時間が無くなってきて徐々にやらなくなっていました。
久々にやるゲームは新鮮でゲームの進化にも感動しました。
おっさんの心を刺激するには十分すぎました。
修理の仕事が思いついたきっかけは自分の持っている3DSLLが壊れて、自分で部品を購入して修理したことです。
その時に
・ メーカー修理代と部品代の差
・ 修理にかかった時間
頭の中のそろばんを弾いてこれは商売として成り立つと思いました。
そこからはゲーム機の修理をしようと思い、色々と調べました。
修理をする選択として考えたのが・・・
① フランチャイズに加入してスマホ修理、ゲーム機修理を始める
② 自分で独学で修理スキルを身に着けて始める
③ 修理している店で働いてスキルを身に付けてから始める
この3つの方法が思いつきました。
①はお金さえ出せば簡単に始められます。しかし3日で修理のノウハウが身に付くようなことが書いてありました。
「うさんくさい!」
その時感じた率直な感想です。
3日で修理技術が身に付くんだったら独学でも身につけれると思ったし、大した技術じゃないから何の価値もないと思いました。
却下です。
②は最終手段だと思っていました。
苦労はするけど無理だとは思っていませんでした。
とりあえず保留です。
③の修理をしている会社の募集を探していました。
そこで見つけたのが「あすか修繕堂」でした。
ネットショップのホームページに従業員募集が記載されておりました。
動画で修理を公開していたり、はんだを使う修理をしているので、本格的な修理が学べるんじゃないかと考えました。
当時は「はんだ」=「本格的」みたいなイメージがありました。
あすか修繕堂の面接
修理の仕事がしたいと思いついて調べていた頃が、「期間従業員」で出稼ぎをしているときでした。
たまたまその時に自分のゲーム機PS VITA2000のアナログスティックが暴走するようになったので、「あすか修繕堂」で修理をしてもらって、店がどんな感じか見てみようと思いました。
働いている所が三重県のいなべ市であすか修繕堂は奈良県です。
片道約100キロほどだったので、休みの日に日帰りで持ち込み修理をしてもらいました。
その時に社長と初めてお会いしました。(後に本人に話しましたが全く覚えておりませんでした。)
修理してもらってから改めて考えました。
そして修理にかかる時間、修理の出来、交換する部品の値段(部品も販売していました)を考えて改めて商売として成り立つと思いました。
その時に同時に決めたことがあります。
今の仕事が期間満了で終わった後、少し旅をして帰ったその時点で従業員募集をしていれば電話してみようと決めました。
募集をしていなければ独学するつもりでした。
その間にも時々会社のホームページを閲覧していたのですが、募集している時もあればしていない時もありました。
正直なところこの会社で働くことが正しい選択かどうかもわからないので・・・
「その時の運命に身を委ねよう」
と思ってました。
約1年後にその時が来ました。
ホームページを見ると求人募集していました。
電話することは決めていました。
更にその後の生活に関して2つのことを決めてました。
① この会社に採用されようがされまいがゲーム機の修理をする店を経営する予定
② 旅を卒業したいと言う気持ちもあったので、北海道から引っ越す予定でした。
なので・・・
・ 採用されたら会社(奈良県橿原市)の近くに引っ越して働く
・ 不採用だったら地元(兵庫県尼崎市)に近く安い物件を探して住む
その後独学で修理技術を身に付けていく
こんなプランで会社(あすか修繕堂)に電話しました。
会話の流れはこんな感じです。
自分「インターネットで求人募集を拝見したのですが、まだ募集してますでしょうか?」
社長「はい、やってます。」
自分「今は北海道に住んでいてすぐに働ける訳ではないんですけど、御社で修理の仕事をさせて頂きたいと思っているのですが・・・」
社長「そうですか。何故わざわざ北海道から奈良県の方に住もうと思われたのですか?」
自分「奈良県に住みたいと言うよりは御社で働きたいと思ったんです。修理の仕事がしたくて・・・。」
社長「お近くの方だったらすぐに面接にきてもらって話をしたいところなんですが、遠方の方なので高い旅費をかけてきてもらって不採用となったら申し訳ないから、今から簡単に電話で面接しましょうか。」
自分「あ、はい。」
正直こんな展開になるとは思っていませんでした。
自分は電話で喋るのが基本的に苦手です。
相手の気持ちや顔色などがわからない部分が多いので、自分の思いが伝えきれないからです。
旅費はどうせ関西に移住する予定やから家探しと同時に面接行こうと思ってたのに・・・。
と思っていたのですが緊張していたのかその時はその言葉が出てきませんでした。
社長「それでは・・・・・」
簡単な質問が2,3個あって一瞬で終わりました。
正直言って全然うまく答えれませんでした。
社長「わかりました。それでは検討してみます。今日中に携帯にご連絡します。もしも連絡がなければ申し訳ないけど不採用と言うことにさせて頂きますので。」
自分「そうですか・・・。わかりました。よろしくお願いします。」
こんな感じで「電話面接」があっという間に終わりました。
自分の中で手ごたえは全くありませんでした。
正直なところ「多分あかんわ」って感じです。
それでも「あわよくば」みたいな期待もありました。
その日の夜・・・
19時 「そろそろ電話かかってくるかな?」
かかってこない
20時 「食事が終わったやろうからそろそろかけてくるかな?」
かかってこない
21時 「やっぱりあかんのかな・・・ いや今悩んでて考え中かもしれん」
かかってこない
22時 さすがに22時を過ぎて諦めました。
約30分落ち込みました。
「こんなフェイドアウトの不採用一番嫌いやねん!」
「まともに話もできひんかったしこんな後悔する面接初めてや!!」
「関西に着いてから電話したらよかったわ~」
「失敗した~やってもうた~」
と、一人で愚痴ってました。
物件探しの旅
でも、元々不採用だったら独学で修理を学ぶと言う予定だったので、30分ぐらいしたら
「こっちの道になったか。」
ぐらいの気持ちに切り替わってました。
その日の23時ぐらいから本格的に地元(尼崎市)近郊の物件探しが始まりました。
無職なので賃貸は無理やろう(審査で落とされる)と思って最初から格安のマンション、団地、一軒家を購入する予定で探しました。
実は1,2週間ぐらい前から時々物件をチェックしていたのである程度の相場はわかっておりました。
しかし夜中に延々と物件探しをしていると深夜4時頃に、今まで見たことのない新しい物件(2日前に掲載)があり・・・
「え???」
心の声が洩れました。
約5分間ほど何度も読み返しました。
「うそ~ん!! これ当たりやん!!」
神戸市の名谷と言う所に相場よりもかなり安くてメチャメチャ綺麗な物件がありました。
築年数は古かったけど数年前に全面リフォームしていて自分にとって理想の物件と思いました。
「わかった!あすか修繕堂で不採用になったのもここに住めと言うことやったんやな」
「運命っちゅうことやな」
こんな風に勘違いするほど理想的で良い物件でした。(ヤフー不動産で見る限り)
深夜4時半頃にテンションマックスでした。
今すぐに電話で確認したかったけど時間的に無理だったので、『はやる気持ち』を抑えて寝ました。
・・z・z・・
結局ほとんど寝れませんでしたが、10時になったので即行で電話してみました。
自分「あの~ヤフー不動産で見たんですけど〇〇の物件まだ残ってますか?」
不動産屋「あ~あの物件ですか・・・ 残っていますけど今日にも決まりそうです。昨日内覧した人の返事が今日来る予定なんです。それに日曜日(2日後)の昼にも別の方が一人内覧予定があるんです。」
自分「あっ、そうなんですか。じゃあまだ決まってはいないと言うことですね。」
不動産屋「はい、一応はそうですね。」
自分「メチャクチャ安いけど事故物件ではないですか?」
不動産屋「事故物件ではありません。オーナー様が急に引っ越すことになったので早く売りたいみたいです。ものすごくお買い得な物件ですよ。」
自分「じゃあ、今ここで僕が契約することは出来ませんか?北海道に住んでいるからすぐには行けませんけどお金は頭金として数万円だったらすぐに振り込めます。」
不動産屋「物件を見ていない人が契約をすることは出来ない決まりなんですよ~」
自分「そうですか・・・わかりました。とりあえず今日出発してそちらの方に向かいます。」
不動産屋「でも来てもらっても、この物件はもう売れてしまっている可能性も高いですよ。」
自分「わかっています。それでもいいんです。無理だったら他の物件も見たいので。」
不動産屋「わかりました。ではお待ちしております。」
こんな感じのやり取りになりました。
可能性は・・・
・ 金曜日(今日)に決まってしまう可能性
・ 日曜日(2日後)に内覧に来た人が即決したら決まる可能性
自分が決まる望みは薄いので、ダメだった時は他の物件を見つけるまでは帰らない予定です。
長旅になる可能性があるので、車中泊で宿代をうかせるためにフェリーに車を乗せて行くことにしました。
住んでいる所が千歳市なので
この2つのルートがあります。
金曜当日に決まってしまうとどちらのルートも間に合いません。
しかし、日曜日の昼に内覧に来る人には①のルートだったら日曜日の朝一で不動産屋に行くことが出来るので確実に勝てます。
②のルートだったら日曜日の15時頃に不動産屋に着くので即決で決められると間に合わない可能性が高いです。
そのため小樽~舞鶴ルートを選ぶことにしました。
早速、出発前に予約の電話をしてみると・・・
「天候が荒れているため本日は欠航になりました。」
「・・・・・!!」
まさかの展開でした。
「確かに多少は雨風キツかったけど欠航になるほどか!?」
と思いましたが仕方がありません。
先に電話しておいてよかったと思って仕方なく苫小牧~名古屋ルートに変更しました。
電話で予約して、準備をして苫小牧まで車で走りました。
フェリー乗り場に行く前に苫小牧イオンで食料の買い出しをしていると一本電話が入りました。
不動産屋からでした。
不動産屋「昨日内覧した人から返事があったんすけど、保留と言うことでしたのでまだ残ってますよ。」
自分「そうですか~ありがとうございます。日曜の14時~16時頃にはそちらに行けそうです。」
不動産屋「お待ちしております。」
第一関門クリアです!
望みが出てきました!
「やったー!」と言う思いと同時に「小樽~舞鶴の船が普通に出航してたらこの時点で確実に決まってたやん!」と思いました。
そんな微妙な気持ちでフェリーに乗り込み2日経ちました。
zzz
日曜日の朝の10時30分 定刻どおりに名古屋港に着きました。
高速代をケチり下道を一度も休憩せずにノンストップで走ってました。
国道2号線の須磨海浜公園駅近くで一本の電話が鳴りました。不動産屋まであと30分程で付く場所です。
運転中で出れなかったので路肩に止めて着信を見ると不動産屋の携帯電話からでした。
電話を掛け直しました。
自分「すいません。運転中で電話に出れませんでした。」
不動産屋「いえいえ、すみません。実は例の物件たった今決まってしまいました。」
自分「・・・」
不動産屋「もしもし」
自分「はい」
不動産屋「例の物件決まったんですよ。ローンで買う予定だから審査次第ですけど公務員の方だからおそらく通ると思います。」
自分「そうですか。とりあえずそっちに行きます。他にも見たい物件あるんで」
不動産屋「・・・わかりました。お待ちしております。」
凹みました。「原因はフェリー欠航」
「なんで欠航になってんねん!」
「揺れても沈没するわけちゃうやろ!」
「めっちゃヘタレやん」
「新日本海フェリーもっと頑張れよ!」
僕は100%「他責思考」の性格ですので、不動産屋に着くまではフェリーが欠航になったせいにして延々と一人車の中で愚痴っていました。
30分後に不動産屋に着きました。
例の物件もキャンセルになった場合を考えて内覧させてもらいました。
見た感想は・・・
「めっちゃ綺麗!」
「ここに住みたい!」
「逃した魚は大きかった」
最初のホームページで見た印象と変わらず最高の物件でした。
その後も他の物件を色々と見させてもらったけど、どうしても比べてしまうから全部イマイチに感じました。
不動産屋を後にすると辺りは真っ暗でした・・・。
近くの「道の駅 淡河」まで走り車中でコンビニ飯を食べてふて寝しました。
zzz
次の日からは不動産探しの旅が始まりました。
3日間、安い物件を求めて兵庫県、大阪府を探し回りました。
大阪の狭山市で安い物件がたくさんあったので全部内覧させてもらったのですが、どれも決め手に欠けました。
最終的に最初の不動産屋で見た神戸市の他の物件で妥協することに決めました。
その日は大阪の羽曳野市にある「道の駅 しらとりの郷」で寝ることにしました。
前日もここに泊まっているので連泊です。
居心地のいい道の駅でぐっすり眠れました。
zzzzz
神戸に行く道中の「ひらめき」と「決断」
翌日、羽曳野市から中央環状線を北上して神戸市に向かっておりました。
八尾市~東大阪市に入った辺りで道路標識に奈良県の文字が頻繁に表示されるようになってきました。
「奈良県か・・・」
「そういやこないだあすか修繕堂に電話したな」
「ほんの1週間ぐらい前やってんな 遠い昔のような気がするわ」
「こっちに来た時点で電話したらよかったな~」
「そしたら多分面接は受けれたやん・・・」
「運命変わってたかもしれんな・・・」
「ちゃんと面接して不採用やったらこんな風に引きずらんかってんけどな」
「不完全燃焼感が半端じゃないわ~」
「・・・まてよ、今電話して面接させてもらわれへんかな」
「いやいや、それは図々しいやろ」
「しつこいやっちゃな~って思われるだけやん!」
「でも、あかんかっても今の状態と何も変わらんしな~」
「当たって砕けろで電話してみるか」
「いやいやいやいやいやいや!!」
「でもな~」
「どないしょう・・・・・・」
こんな風に考えがまとまらない内に運命の交差点が近づいてきました。
この中央環状線は関西に住んでいた頃はしょっちゅうツーリングしていた道なのでよく覚えています。
この交差点を過ぎると奈良県方面に行くにはUターンしないと行けません。
自分の性格上この交差点を過ぎると、戻るのがかなり面倒くさくなるので絶対に戻らないと確信してました。
運命の交差点の300メートルぐらい手前で信号が青になるのが見えました。
これで信号待ちで考えることも許されなくなりました。
あと200メートル
あと100メートル
「どないしょう~~~」
真っすぐに北上すれば「あすか修繕堂」に電話することは二度とないでしょう。
右に曲がれば奈良方面です。
「右に曲がって適当なところで車を止めて電話してみようかな・・・」
この交差点が運命の分かれ道のように感じました。
答えが出ないまま交差点に差し掛かりました。
あと30メートル・・・
片側3車線の道の真ん中の車線を走っていましたが、咄嗟に左ウインカーを出して左車線に入り左折しました。
真っすぐか右折の二択やのに何故か左折してしまいました。
運よく曲がって100メートルぐらいの所に駐車場の広いファミリーマートがあったので、すかさず入りました。
「ちょっと落ち着いて考えよ」
「一回冷静になろ」
車を停めて落ち着いて考えました。
・・・考えれば考えるほど電話するしかないと思うようになりました。
もしもこのまま電話しなかったら自分は・・・
何か人生でうまくいかないことがあると必ず思い出すような気がしました。
「もしも電話してたらどうなってたんやろう」
「もしあの時電話しとったら人生が変わってたかもしれんな」
そんなことを度々考えるアホみたいな自分の姿が目に浮かびました。
「それは絶対にあかん!」
電話をしてやっぱり不採用って言われても
面接させてもらったけどやっぱり不採用になったとしても
社長に嫌われても、うっとおしい奴やと思われても
神戸には電話をして断られてからじゃないと行ったらあかんという状態(自分の気持ち)になりました。
電話~面接~採用まで
そんなこんなで10分程で既に答えは出ていました。
しかし答えは出たもののなかなか踏ん切りがつきませんでした。
ファミマの駐車場で約1時間悩んでようやく電話できました。
残念ながら電話はつながりませんでした。
「あかんか・・・。どないしようかな・・・」
と思った矢先に電話がかかってきました。折り返しかけてくれたのです。
社長「もしもしすいません。今さっきお電話いただいたみたいで」
自分「すみません。先日求人募集の件でお電話した者なんですけど」
社長「・・・・・あー 北海道の。」
自分「はい、そうです。こないだの電話で面接させて頂いて不採用になったのはわかってるんですけど、今たまたま用事で関西の方に来てまして・・・ もしよろしければお話だけでもさせて頂けないかと思ってお電話したんですけど・・・」
社長「あ~そうですか・・・・ ちょっと待ってくださいね。」
自分「はい。」電話が保留中になりました。
待つこと1,2分・・・
社長「もしもし、ちょっと検討して1,2時間以内に折り返しお電話します。今度は絶対にかけますから。」
自分「わかりました。お待ちしています。失礼します。」
こんな感じで電話が終わりました。
ファミマでメシを買って食べてから近くの別の広い駐車場に移動して電話を待ちました。
約1時間30分後に電話がかかってきました。
社長「もしもし、うちの会社はですね・・・・・」
内容は会社で働くにあたってのマイナスな面をいろいろ説明されました。
自分は全く問題なかったのでひたすら大丈夫ですと答えてました。
社長「・・・・・そしたらこっちに来て面接しますか」
自分「はい!!ありがとうございます!」
社長「じゃあ今日これから来れますか?」
自分「・・・・・夜の20時頃だったらそちらに行けそうですけど大丈夫ですか?」
早くても明日と思っていたので面喰いました。
実は丸2日、風呂にも入ってませんでした。
こんな臭い状態で面接に行くわけにはいかんと思い、風呂に入るために遅い時間を言うしかありませんでした。
社長「わかりました。じゃあ20時にお待ちしてます。簡単な経歴みたいなものを書いといてください。」
自分「わかりました。ありがとうございます。」
電話はこれで切りました。
面接が決まっただけでめっちゃうれしかったです。
採用が決まったわけではないですが可能性が出来たことに素直に喜んでいました。
その後すぐに近くのスーパー銭湯を探して入りました。
三日ぶりの風呂が気持ちよすぎました。
会社の近くのオークワで履歴書を買い、自分の記憶の範囲で書きました。
誤字脱字もありましたが、書き直す時間がないので塗りつぶして消した汚い履歴書になってしまいました。
約束時間の約10分前に会社に着きました。
約40分程の面接時間でした。
コーヒーを出してもらってたのですが、一口も飲めませんでした。
最終的にその場で採用してくれることになりメチャメチャうれしかったです。
実際は「よく考えて結論を出してから電話してくれ」と言うことでしたが、自分の気持ちは完全に決まっていました。
今でもあの時の感謝の気持ちは忘れておりません。
最後に
長々と会社に採用されるまでのことを書きましたが・・・
日にちが経過してから関西に行っているので不採用になったことは忘れているでしょう。
日曜の朝に不動産屋にいって即決して神戸市の名谷ライフが始まっていたでしょう。
奈良県の近くを通ることも道路標識を見ることもなかったので、会社のことを考えることもなかったでしょう。
こういった色々な偶然が重なって「あすか修繕堂」で働くことになりました。
今思うとすぐに仕事を辞める僕が何故4年も務められたかと言う理由は
・ 自分自身けっこう気合を入れていて最低2年は働くつもりだった
・ 会社の居心地も悪くなかった
・ 社長が会社の利益だけではなく自分のことを真剣に考えてくれていた
・ やりがいがあった
・ 他の会社でありがちな理不尽なことがなかった
・ 修理の仕事は楽しいと思えていた
など色々あります。
しかし良いことばかりではなく、辞めたいと思うこともたくさんありました。
そういったときに一つの心の支えとなっていたものが・・・
と言う大きな理由がありました。
最後にここまで読んでくれた人に感謝します。
お付き合いいただきありがとうございました。
本当は就職してからの話も書くつもりでしたが、あまりにも長くなってしまったのでここで終わります。
自分語りの話は読む人にとっては興味がなく退屈だと思いますので、働いてからの話は書かないつもりでしたが・・・。
就職してからの話の続編【【続】あすか修繕堂(修理会社)と私の出会い】も書きました。【追記:2022年4月29日】
興味のある方はお読みください。
コメント
初めまして
スイッチのプロコンを修理するためいろいろ検索していたら
こちらにたどり着きました。
素人にも丁寧で分かりやすい説明がありがたいです。
また、半生について一気に読ませていただきました。
運命に任せることに何となく共感を覚えました。
その後についても可能な範囲で読ませていただければと思います。
人の半生に対してこういう表現はどうかとも思いますが…すごく面白かったです!続編も読ませていただきます。